1993年に出版されるや否や世間を騒がせた『完全自殺マニュアル』にあやかったマニュアルシリーズの一つに『完全失踪マニュアル』(樫村政則、太田出版)がある。
元探偵の著者が書き上げた渾身の力作であり、失踪にあたっての膨大な情報量を詰め込んだ実用書は本書以外に類を見ない。但し、問題となるのは本書が1994年の出版であるという点である。1994年というのは初代PlayStationが発売となった年であり、翌年1995年には阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄テロが起きている。
あれから20年以上が経ったけれど、私たちにとっての最も激烈な変化はIT化であろう。インターネット常時接続はもはや当たり前。さらには一人一台の勢いでスマートフォンを手にしている。
本稿の論旨はこのスマホ全盛の時代において、黴臭い『完全失踪マニュアル』がまだ役に立つのかをレビューしていくものである。結論から言えば、役に立つ。インターネットにない情報がここにある。下記で見ていこう。
『完全失踪マニュアル』におけるやや古いと思われる内容
とは言え、内容の全てを鵜呑みにしてしまえるかというとそうでもない箇所はある。
例えば、失踪時の持ち物として「地図、ガイドブック」が挙げられている。これは、本来の使い方の他に、地図の類を持ち歩いていれば観光者を装うことができ、不審者としてみなされる可能性を減らすことができる(職務質問を避けることができる)という理由が挙げられているが、現代において地図やガイドブックは殆ど全てスマホに代替えされているので、地図を持ってうろうろなんてしていたらむしろ不審であろう。
失踪生活中のお金の稼ぎ方についても言及があって参考になるが、当然ながらネットビジネスについては記載がされていない。インターネットを活用したほうが合理的に職にありつけるし、ネット上で自分でビジネスさえ始めることができる。出版年を考慮すればこの点は致し方ない。
また、失踪に関わる法律についても解説されていて非常に親切なのであるが、経年によって法律が変わっている可能性もあるだろう。
『完全失踪マニュアル』の未だに使える内容
上述の点などを除けば、殆どは現在でも通用する内容である。特に「最大の敵は寂しさ」などメンタリティへの言及は、安易に失踪を唆すハウツー本とは一線を画している。元探偵の著者が実際の失踪者を見てきた経験によるものだろう。
そう、著者は失踪の専門家とも言うべき元探偵である。従って、記述が非常に詳細である。痒いところに手が届く。読者は失踪生活を具体的にイメージすることができるし、困ったときには本書を開けば(経年劣化している内容以外は)何らかのヒントが得られるはずである。
また、ちょっとした家出としてのライトな失踪だけでなく、ヘヴィーな数年間に渡る失踪や完全失踪の方法についても具体的に書かれているところは唯一無二と言っていい。「人生がつらかったらちょっと失踪しちゃえばいいじゃん」というスタンスで書かれた書物やネット記事は山ほどあるが、永久失踪についての手練手管を教授する文章は極めて稀であると言っていい。
『完全失踪マニュアル』の比類なき点
上記の永久失踪と同じく、本書『完全失踪マニュアル』の比肩することなき点は、膨大な量の失踪実例が挙げられているところである。元探偵としての実体験や新聞三面記事、週刊誌ゴシップ記事などを紹介し、著者独自の視点で分析を試みている。
これら実例から私たちは、失踪における実践的な細やかな技術を学ぶことができる。例えば「17日間で静岡から山口県まで移動した小学生兄弟」の驚異的な例からは、機転を利かせることで小学生という目立つ存在でも2週間以上見つからずに(補導されずに)いられることや恐るべき精神力を修めることができる。
あるいは、多くの失踪の実例からは孤独を癒やし、勇気を受け取ることさえできるだろう。現在進行形で失踪中の人も、これから失踪を画策しつつある人にとっても、失踪を試みているのは一人じゃないというのは大きな味方になる。失踪の実例を読むことによって失踪を諦める(満足してしまう)ことにもなるかもしれないが、それはそれで良しとされるのであろう。
まとめ
インターネットにはほぼ全ての情報があると私たちは思っている節がある。Googleで探せば何もかもが出てくる、と。だけど、実際にはインターネット上にない情報も山ほどある。あるいは各所に分散していてうまくまとまっていなかったりする。
失踪について知りたかったら、未だに『完全失踪マニュアル』は手にとるべき第一候補である。確かに古いが役に立つ。ここには失踪についての情報が利便性高く上手にまとまっている上、インターネット上にない独自の情報さえ潤沢に掲載している。
是非とも最新版にアップデートして発売して欲しいものであると私は密かに期待している。
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